企業における横領・着服の実態と最新動向
はじめに
近年、企業における横領・着服事件は複雑化・巧妙化し、企業経営にとって看過できないリスクとなっています。本記事では、日本企業における横領・着服の最新状況を統計データに基づいて分析し、経営者の方々に実用的な知識と対策を提供します。横領・着服問題は表面化するのはごく一部であり、多くの企業ではリスクを十分に認識できていないのが現状です。いわゆる「氷山の一角」という表現がまさに当てはまるこの問題について、本記事では統計データを活用しながら、実態と対策について詳しく解説していきます。
企業における不正行為は、単に財務的な損失をもたらすだけでなく、企業文化や従業員のモラル、さらには顧客や取引先との信頼関係にも大きな影響を与えます。特に横領・着服は、長期間にわたって発覚せず、発覚したときには既に大きな損害が生じているケースが少なくありません。そのため、予防的な対策と早期発見の仕組みを整えることが極めて重要です。本記事では、統計データに基づく現状分析から具体的な対策まで、包括的な視点で横領・着服問題に迫ります。
また、デジタル化の進展やコロナ禍によるリモートワークの普及など、企業を取り巻く環境の変化は、横領・着服のリスクにも新たな側面をもたらしています。従来の対策だけでは十分に対応できない新しいリスクについても考察し、現代のビジネス環境に適した対策の在り方を提示します。企業規模や業種によってリスクの現れ方や効果的な対策は異なりますが、本記事では幅広い企業に共通する基本的な視点を提供し、各企業が自社の状況に応じた対策を検討する際の指針となることを目指しています。
日本企業における横領・着服事件の最新統計
発生頻度と被害規模
警察庁の犯罪統計によると、2023年の業務上横領事件の検挙件数は約1,200件で、被害総額は推定約180億円に達しています。しかし、これは氷山の一角に過ぎません。民間調査会社の推計では、発覚していない事案も含めると実際の被害額は発表されている数字の3〜5倍に上るとされています。つまり、実際の被害額は年間で500億円から900億円規模になる可能性があるのです。これは中小企業約1,000社の年間売上高に匹敵する金額であり、日本経済全体に与える影響は決して小さくありません。
横領・着服事件の特徴として、発覚までの期間が長期にわたることが挙げられます。ある調査では、不正行為の開始から発覚までの平均期間は2.5年とされており、長いケースでは10年以上にわたって継続していた事例も報告されています。この長期間にわたる不正の継続は、内部統制の不備や監視機能の形骸化を示唆しており、企業のガバナンス体制における課題を浮き彫りにしています。
また、横領・着服は刑事事件として取り扱われないケースも多く、内々に処理される場合や民事上の問題として解決される場合も多数存在します。企業のレピュテーションリスクを考慮して、積極的に公表されないことも多いため、公式統計には表れない「暗数」が非常に多いのが実情です。特に家族経営の中小企業では、親族による横領が発覚しても、家族関係や事業継続の観点から、表沙汰にされないケースが多く見られます。
さらに、直接的な金銭的損失に加えて、風評被害や信用失墜による二次的な損害も甚大です。顧客や取引先からの信頼を失うことで、長期的な企業価値の毀損につながるケースも少なくありません。実際、横領・着服事件が公になった企業の約30%が、事件発覚後3年以内に業績悪化や信用力低下などの深刻な経営危機に直面しているというデータもあります。特に、金融機関や上場企業など、信用が事業の根幹となる業種では、その影響は計り知れません。
業種別の発生傾向
業種によって横領・着服のリスクには大きな差があります。2023年のデータによると、小売・流通業が28%と最も高く、次いで製造業が22%、金融・保険業が18%、サービス業が15%、建設業が10%、その他が7%となっています。特に現金取扱いの多い小売業では、日常的な現金管理の脆弱性が不正のリスクを高めています。小売業の場合、POSシステムの導入によりレジ現金の管理は厳格化されつつありますが、返品処理や値引き処理、商品券の取り扱いなど、依然として不正の余地が残されている領域があります。実際、あるコンビニエンスストアチェーンでは、返品処理を悪用した横領事案が2年間で約50件発生し、総額で1億円近い被害が生じた事例もあります。
製造業では原価管理の複雑さや在庫管理の難しさが横領・着服の温床となっているケースが見られます。特に原材料の購入における架空発注や、実際より高額な発注を行い差額を着服するといった手口が多く報告されています。製造業の場合、部品や原材料の種類が多岐にわたり、専門的な知識がないと適正価格の判断が難しいことから、購買担当者による不正が起こりやすい環境にあります。ある自動車部品メーカーでは、購買担当者と取引先が結託し、市場価格より30%高い価格で部品を購入していた事案が発覚し、5年間で約3億円の損害が生じたという事例もあります。
小売・流通業では現金管理だけでなく、商品の横流しや在庫の不正処理などの事例も多く報告されています。特に高価な商品を扱う家電量販店やブランド品小売では、店舗スタッフによる商品の不正持ち出しや、実際より安い価格で知人に販売するといった不正が見られます。ある家電量販店チェーンでは、店長と複数のスタッフが結託し、高額商品の在庫管理システムを改ざんして商品を持ち出し、インターネットオークションで転売していた事例が発覚しています。この事案では3年間で約200点、金額にして8,000万円相当の商品が不正に持ち出されていました。
一方、製造業では架空発注や原材料の不正持ち出しなどの手口が多いのが特徴です。特に、生産管理システムが十分に整備されていない中小製造業では、歩留まりの操作や廃棄処理を偽装した製品の横流しなどが行われるケースがあります。製造業の場合、技術的な専門知識を持つ従業員による不正は発見が難しく、長期間にわたって継続するケースが多いのが特徴です。ある精密機器メーカーでは、技術責任者が不良品として報告した製品を実際には修理して転売し、7年間で約1億2,000万円を着服していた事例が報告されています。
金融・保険業では高額な被害が発生するケースが多く、一件あたりの平均被害額は他業種の約2倍に達しています。これは取り扱う金額自体が大きいことに加え、専門知識を持った従業員による巧妙な手口が用いられることが多いためです。特に、顧客の預金や投資資金を直接管理する立場にある従業員による不正は、大きな被害につながります。ある地方銀行では、営業担当者が顧客に対して架空の高利回り金融商品を販売したと偽り、実際には自分の口座に入金していたという事例があり、10年間で35人の顧客から総額4億円以上を詐取していました。発覚のきっかけは顧客からの問い合わせでしたが、銀行側の内部統制では長年発見できなかったという問題点が浮き彫りになりました。
サービス業や建設業においても、それぞれの業種特性に応じた不正リスクが存在します。サービス業では、チケットや商品券、ポイントなどの金券類の管理における不正や、顧客から預かった資金の一時的な流用などが見られます。建設業では、下請け業者との癒着による水増し請求や、実際には使用していない資材の架空発注などが典型的な不正手口です。特に建設業界では、多層下請け構造により取引の透明性が低くなりがちであり、不正が発生しやすい環境にあるといえます。ある大手建設会社では、資材調達担当者が特定の業者と結託し、市場価格より3割高い価格で資材を購入していた事例が発覚し、8年間で総額12億円の損害が生じていました。
企業規模別の傾向
中小企業における横領・着服の発生率は大企業の約2.5倍と報告されています。これは複数の要因によるものですが、主に内部統制システムの脆弱性、職務分離の困難さ、専門的な監査体制の不足、そして属人的な業務プロセスなどが挙げられます。大企業では組織的なチェック体制が整っていることが多いのに対し、中小企業では限られた人員で業務を回すため、一人の従業員が複数の権限を持つことが多く、不正の機会が生まれやすい環境にあります。例えば、中小製造業の経理担当者が、発注から支払いまでの全プロセスを一人で担当しているケースでは、架空の発注書を作成し、自分が管理する口座に支払いを行うといった不正が可能になります。実際に、従業員30人ほどの金属加工会社では、経理担当者が架空の外注先を作り出し、7年間で1億2,000万円を着服していた事例があります。この会社では、経理担当者が長年にわたって信頼されており、社長も含めて誰もチェックする立場になかったことが不正を長期化させた要因でした。
また中小企業では、経営者と従業員の関係が密接であるがゆえに、必要な牽制機能が働かないケースも多く見られます。特に、長年勤務してきた「信頼できる」従業員に対しては、チェック機能が形骸化しがちです。ある中堅の卸売業者では、30年以上勤務した経理部長による横領が発覚しましたが、「彼なら大丈夫」という経営者の信頼から、通常なら必須である証憑書類のチェックや銀行残高の確認などが省略されていたために、15年間で3億円以上の着服が行われていました。このケースでは、経理部長の突然の病気入院により、代理で業務を行った社員が不審な取引を発見したことがきっかけで発覚しています。
一方で、特に従業員50人未満の小規模企業では、経理担当者が一人で全ての財務プロセスを担当していることも少なくなく、このような環境では不正行為の発見が極めて困難になります。職務分離が物理的に困難な小規模企業においては、経営者自身が定期的に主要な取引や残高を確認するなどの対策が必要ですが、多忙な経営者がこうした確認作業を怠りがちなことも、不正リスクを高める要因となっています。ある小規模な貿易会社では、唯一の経理担当者が売掛金の入金を着服し、帳簿上は未回収として処理していたケースがありました。社長は営業に専念しており財務諸表を詳細に確認することはなく、売掛金の長期滞留が異常に多いことに気づかなかったため、4年間で8,000万円の着服が行われていました。
また、オーナー経営者と従業員の間に強い信頼関係がある場合、必要な牽制機能が働かないこともあります。「信頼している」という思いが逆に不正の温床となってしまうケースは非常に多く見られます。特に家族経営の企業では、親族間の信頼関係から基本的なチェック機能すら省略されることがあり、結果として大きな被害につながるケースがあります。ある家族経営の小売チェーンでは、創業者の息子が経理を担当していましたが、ギャンブル依存のために会社資金を流用し、5年間で1億5,000万円を着服していました。創業者は「自分の息子なら」という思いから財務状況をほとんどチェックしておらず、取引銀行からの融資更新時に異常が発覚するまで、問題に気づくことができませんでした。
大企業においても横領・着服のリスクは存在しますが、その性質は中小企業とは異なります。大企業では組織的なチェック体制や内部監査システムが整備されていることが多いため、単純な現金着服などの古典的な不正は発生しにくい環境にあります。しかし、複雑な組織構造や膨大な取引量、グローバルな事業展開などが、別の形での不正リスクを生み出しています。特に、複数の部門や担当者が関わる複雑なプロセスにおいては、責任の所在が不明確になりがちであり、組織的な不正や複数の従業員が結託した不正が発生するケースがあります。ある大手メーカーでは、海外子会社の経営幹部と本社の管理部門が結託し、現地でのコンサルティング費用を水増しして計上し、その差額を着服するという不正が行われていました。この事例では、国際取引の複雑さと現地法人の管理体制の弱さが悪用され、7年間で総額20億円の損害が発生していました。
また、大企業特有の問題として、コンプライアンス体制の形骸化や過度な業績プレッシャーによる不正の誘発などが挙げられます。形式的には厳格な内部統制システムが整備されていても、実際の運用が伴っていない場合や、現場の実態に即していない制度が形骸化している場合には、不正のリスクは高まります。ある大手小売チェーンでは、厳格な在庫管理システムを導入していたにもかかわらず、店長に対する過度な収益改善プレッシャーが、在庫数値の意図的な操作や架空の廃棄処理による商品の横流しを誘発し、全国30店舗で同様の不正が行われていたという事例がありました。この事例では、形式的なコンプライアンス体制よりも、現実的な業績目標の設定や、不正を許さない企業文化の醸成が重要であることが示唆されています。
典型的な横領・着服の手口とその変遷
従来型の手口
横領・着服の手口は時代とともに変化していますが、従来から見られる典型的な方法としては、架空経費の計上、売上金の着服、在庫・資産の持ち出し、架空取引などがあります。これらの手法は、デジタル化が進んだ現代においても依然として多く見られる基本的な不正手口です。その根本にあるのは、現金や物品の流れと記録の間にずれを生じさせ、それを利用して資産を不正に取得するという基本的なメカニズムです。
架空経費の計上では、実際には発生していない経費を請求し、その差額を着服するという手法が用いられます。特に交通費や接待費などの実態確認が難しい経費が対象となりやすいです。例えば、実際には5,000円の接待費しかかかっていないにもかかわらず、領収書を改ざんしたり、高額な架空の領収書を作成したりして、20,000円の経費として請求し、差額の15,000円を着服するといった手口です。また、出張費の水増し請求も典型的な手口の一つです。実際には格安航空券やビジネスホテルを利用したにもかかわらず、正規運賃の航空券や高級ホテルを利用したように装い、差額を着服するケースが多く見られます。ある商社では、海外出張の多い営業担当者が、実際には使用していない高額なビジネスクラス航空券の領収書を偽造し、3年間で1,500万円を着服していた事例があります。
接待交際費は特に不正が起こりやすい費目とされており、実際の支出額より多い金額の領収書を入手して差額を着服したり、全く存在しない接待を架空計上したりする手口が多く見られます。ある大手サービス企業では、営業部長が取引先との架空の接待を頻繁に計上し、4年間で約2,000万円を着服していました。この事例では、接待の事実確認が十分に行われていなかったことが不正を可能にした要因でした。
売上金の着服では、レジ締めの際に一部を抜き取ったり、売上記録を改ざんしたりする手法が一般的です。特に現金取引の多い小売業や飲食業では、売上の一部を記録せずに着服するケースが多く見られます。例えば、実際の売上より少ない金額をPOSシステムに入力し、差額を着服するといった手法です。あるレストランチェーンでは、店長が閉店後のレジ締め作業時に、一部の売上を手書き伝票に差し替えて記録し、差額を着服していたケースがありました。この不正は2年間続き、総額で約600万円の被害が生じていました。発覚のきっかけは、偶然行われた本社による抜き打ち監査でした。
また、返品や値引きの処理を悪用した不正も多く見られます。実際には返品や値引きが行われていないにもかかわらず、システム上でそのような処理を行い、差額を着服するという手口です。ある家電量販店では、販売員が高額商品の架空の返品処理を行い、その商品を別ルートで販売して利益を得るという不正が行われていました。この事例では、返品処理に対する承認手続きが形骸化していたことが不正を容易にした要因でした。
在庫・資産の持ち出しでは、商品や備品を無断で持ち出し、転売するというケースが見られます。特に、高価で転売しやすい商品を扱う企業ではこの種の不正リスクが高まります。例えば、電子機器、ブランド品、医薬品などは不正持ち出しの対象となりやすい商品です。ある家電量販店では、店員が高額なスマートフォンやタブレット端末を不正に持ち出し、インターネットを通じて転売していたケースがありました。この不正は1年半にわたって続き、約200台、金額にして約2,000万円相当の商品が持ち出されていました。発覚のきっかけは、定期棚卸時に特定商品の在庫不足が続いていることに気づいた店長の調査でした。
また、医薬品業界では、高額な医薬品を不正に持ち出し、非正規ルートで販売するという不正も報告されています。特に、希少な医薬品や市場価格の高い医薬品は、こうした不正の標的となりやすいです。ある製薬会社の営業倉庫では、在庫管理担当者が高額な抗がん剤を不正に持ち出し、インターネットを通じて海外バイヤーに販売していたという事例があります。この不正は3年間続き、総額で約1億円の被害が生じていました。
架空取引においては、存在しない取引先との取引を装い、支払いを自分の口座に振り込ませるといった手口が用いられます。特に、取引先の新規登録から支払い処理まで一人の担当者が行えるようなプロセスでは、このリスクが高まります。例えば、架空のコンサルタントや業者を登録し、実際には存在しないサービスや商品の対価として支払いを行うよう仕組むといった手法です。ある中堅企業では、経理担当者が架空のシステムコンサルタント会社を取引先として登録し、実際には存在しないコンサルティングサービスの請求書を自ら作成して支払いを実行していました。この不正は4年間続き、総額で約8,000万円の被害が発生していました。発覚のきっかけは、経理担当者の突然の退職後、後任者が不審な取引履歴を発見したことでした。
また、実在する取引先との取引を水増しして差額を着服するケースも見られます。例えば、実際の取引額より高い金額の請求書を作成し、取引先と結託して差額を分配するといった手口です。ある建設会社では、資材調達担当者が取引先と結託し、実際の納入量より多い資材の請求書を作成し、差額を分配していたケースがありました。この不正は6年間続き、総額で約1億5,000万円の被害が発生していました。
これらの従来型の手口は古典的ではありますが、今なお多くの企業で発生しており、基本的な対策の重要性を示しています。特に、職務分離や定期的なローテーション、抜き打ち監査などの基本的な内部統制施策が十分に機能していない環境では、これらの古典的な不正が今日でも十分に起こりうることを認識しておく必要があります。多くの企業では、新しい形態の不正対策に注力するあまり、こうした基本的な不正リスクへの対応がおろそかになっているケースも見られます。
近年増加している手口
デジタル化の進展に伴い、横領・着服の手口も高度化・複雑化しています。近年特に増加している手口としては、デジタルマネーの不正操作、クラウドシステムの悪用、複数人による組織的な不正、マイクロ着服などが挙げられます。これらの新しい形態の不正は、従来の内部統制システムでは発見が困難であるケースが多く、企業にとって新たな課題となっています。
デジタルマネーの不正操作では、電子決済システムの脆弱性を突いた不正が行われます。権限設定の不備や監視体制の不足を悪用するケースが多く、発見が難しいのが特徴です。例えば、顧客のポイントや電子マネーの残高を不正に操作して自分のアカウントに移したり、システム上の処理タイミングの隙間を突いて二重支払いを発生させたりする手口があります。ある大手ECサイトでは、システム管理者が顧客のポイント残高を不正に操作し、架空アカウントに移して現金化するという不正が行われていました。この不正は1年半続き、総額で約3,000万円の被害が発生していました。発覚のきっかけは、システムの定期監査時に異常なポイント移動が検出されたことでした。
また、キャッシュレス決済の普及に伴い、決済代行サービスを悪用した不正も報告されています。例えば、店舗の決済端末を操作して架空の返金処理を行い、その金額を自分のカードや口座に振り込むといった手口です。あるアパレルショップでは、店長が顧客の決済取り消し処理を偽装して自分のカードに返金処理を行い、2年間で約500万円を不正に得ていた事例があります。この不正は、返金処理に対する上位者承認が形骸化していたことが原因とされています。
クラウドシステムの悪用では、リモートアクセス権限を利用した不正操作が行われます。特にコロナ禍以降、急速に普及したクラウド環境では、適切なアクセス管理が追いついていないケースも少なくありません。例えば、権限設定の不備を突いて通常ならアクセスできない財務データや決済システムにアクセスし、不正な取引を行うといった手法です。ある中堅企業では、IT部門の担当者が人事部や経理部のクラウドシステムに管理者権限でアクセスし、自分の給与データを不正に操作して増額したり、架空の経費精算を承認したりする不正を行っていました。この不正は2年間続き、総額で約800万円の被害が発生していました。発覚のきっかけは、経理部門の定期監査でした。このケースでは、システムの権限管理が適切に設計されておらず、IT部門のメンバーに過剰な権限が付与されていたことが根本的な原因でした。
また、リモートワーク環境の急速な普及は、新たな不正の機会を生み出しています。対面での監視やチェックが減少したことで、従来であれば発見されやすかった不正行為が見逃されるリスクが高まっています。ある金融機関では、在宅勤務中の社員が顧客情報を不正に持ち出し、個人の投資判断に利用していたという事例があります。この不正は社内システムへのアクセスログ分析により発覚しましたが、通常のオフィス環境であれば、周囲の目があることで抑止されていた可能性が高い事例でした。
クラウド環境における不正対策としては、適切な権限設定、定期的なアクセスログの監視、多要素認証の導入などが有効ですが、テクノロジーの進化に対応した継続的な対策の見直しが必要です。特に、システム間連携が増加する現代のIT環境では、一つのシステムの脆弱性が他のシステムにも波及するリスクがあるため、総合的なセキュリティ対策が求められます。
複数人による組織的な不正では、内部の従業員と外部の取引先が結託して行う複雑な不正スキームが構築されることがあります。このような場合、通常の内部監査では発見が困難になります。例えば、購買担当者と取引先が結託して水増し請求を行い、差額を分配するといった手口です。この種の不正は、一人だけでは実行が難しい複雑なプロセスにおいても可能となり、被害額も大きくなる傾向があります。
ある建設会社では、工事担当者と下請け業者、さらには発注元の担当者までもが結託し、実際には行われていない追加工事の発注と支払いを繰り返すという複雑な不正が行われていました。この不正は5年間続き、総額で約5億円の被害が発生していました。発覚のきっかけは、発注元企業の内部告発でした。このケースでは、通常の監査プロセスでは発見が極めて困難な複雑な不正スキームが構築されており、複数の組織をまたいだ共謀が行われていたことが特徴でした。
組織的な不正に対しては、取引先も含めた包括的な監視体制の構築、内部告発制度の充実、データ分析による異常検知などが有効な対策となります。特に、取引の透明性を高めるためのプロセス改革や、不正の早期発見につながる分析手法の導入が重要です。ある大手メーカーでは、取引データの統計的分析により、特定の発注担当者と取引先の間に不自然な取引パターンを発見し、組織的な不正を未然に防止できたケースもあります。
マイクロ着服とは、一回あたりの金額は少額でも、長期間にわたって繰り返し行われる手法です。例えば、毎回の取引で数百円から数千円程度の端数を着服するといった方法が用いられます。少額であるため発見されにくく、長期間続くと累積額は驚くほど大きくなることがあります。このような手口は特に経理部門や決済権限を持つ中間管理職によって行われることが多いです。
ある小売チェーンでは、経理担当者が仕入先への支払い処理の際に、毎回の支払額から1,000円未満の端数を削除し、その差額を別口座に振り込むという不正を行っていました。一回あたりの金額は数百円程度でしたが、月に数百件の支払いが発生する環境下で、8年間にわたってこの不正が続いた結果、総額で約2,800万円の被害が発生していました。発覚のきっかけは、取引先からの支払い不足の問い合わせでした。
マイクロ着服に対しては、システムによる自動チェック機能の強化、データ分析による異常検知、取引先との定期的な残高確認などが有効です。特に、支払いや入金のプロセスにおける自動化とシステム化を進めることで、人為的な操作の余地を減らすことが効果的です。ある企業では、請求書データと支払いデータを自動照合するシステムを導入することで、マイクロ着服のリスクを大幅に低減しています。
これらの新しい不正手口に共通する特徴は、従来の内部統制システムでは発見が困難であること、長期間にわたって継続する傾向があること、そして発覚した時には既に大きな被害が生じていることです。このような特徴を踏まえ、企業には従来の対策を超えた新たなアプローチが求められています。特に、デジタル技術を活用した予防的統制の強化、異常検知のための高度な分析手法の導入、そして不正リスクに対する継続的な評価と対策の見直しが重要となります。
横領・着服の発覚のきっかけとなる兆候
財務面での警告サイン
横領・着服を早期に発見するためには、財務面での警告サインに注意を払うことが重要です。典型的な警告サインとしては、原因不明の現金不足、売上と在庫の不一致、突然の収益悪化、特定項目の経費増加、取引記録と実際の支払いの不一致などがあります。これらのサインは、不正の存在を直接的に証明するものではありませんが、詳細な調査を行うきっかけとなる重要な指標です。
原因不明の現金不足は、最も明白な警告サインの一つです。特に、レジや金庫の現金が帳簿上の残高と一致しない状況が繰り返し発生する場合は、着服の可能性を疑うべきです。実際のケースでは、小売店のレジ締め時に頻繁に数千円から数万円の不足が発生していたにもかかわらず、「計算ミス」として処理されていた事例があります。後の調査で、店長が組織的に現金を着服していたことが判明しました。このケースでは、日常的な小額の不足が長期間にわたることで、総額1,500万円以上の被害につながっていました。
売上と在庫の不一致も重要な警告サインです。定期的な棚卸しで計算上の在庫数と実際の在庫数に大きな差異がある場合、商品の不正持ち出しや売上の着服が行われている可能性があります。あるアパレルショップでは、特定のブランド品の在庫が毎月の棚卸し時に10%程度不足している状況が続いていました。これを「顧客の万引き」と見なしていましたが、実際には店員が商品を不正に持ち出し、インターネットオークションで転売していたことが後に発覚しています。
突然の収益悪化や特定の店舗・部門の業績不振も、調査すべき重要なサインです。特に、市場環境に大きな変化がないにもかかわらず、従来好調だった事業の業績が急激に悪化した場合には、収益の一部が着服されている可能性を考慮する必要があります。ある地方の小売チェーンでは、特定の店舗の収益が6か月連続で前年比20%減少していました。当初は競合店の出店による影響と考えられていましたが、詳細調査の結果、店長が売上の一部を報告せずに着服していたことが判明しました。
特定項目の経費増加も注目すべきサインです。特に、交際費、コンサルティング費用、修繕費など、実態確認が難しい費目の急増は要注意です。ある製造業では、工場の修繕費が前年比で3倍に増加していましたが、実際の修繕工事はそれほど増えていませんでした。調査の結果、工場長が架空の修繕工事を発注し、関連業者と結託して差額を分配していたことが判明しています。
取引記録と実際の支払いの不一致も、横領の可能性を示す重要なサインです。請求書の金額と実際の振込額が一致しない、取引先の残高確認で差異が発生する、支払い日が不規則に変動するなどの異常がある場合は、詳細な調査が必要です。ある商社では、経理担当者が取引先への支払い処理で、システム上は正しい金額を入力しながら、実際の振込指示では別の金額を指定し、その差額を自分の口座に振り込んでいたという事例があります。
また、特定の勘定科目だけが異常に増加している場合や、経理処理の遅延が頻繁に発生する場合も注意が必要です。経理処理の遅延は、不正行為を隠蔽するための時間稼ぎである可能性があります。あるサービス企業では、経理担当者が毎月の決算処理を数週間遅らせる状況が続いていました。調査の結果、その期間を利用して帳簿の改ざんを行い、着服の証拠を隠蔽していたことが判明しています。
さらに、取引先からの入金確認や請求書に関する問い合わせが増加するケースも、不正の兆候である可能性があります。特に、「支払ったはずなのに未入金扱いになっている」という問い合わせが複数の取引先から寄せられる場合は、入金の着服が行われている可能性があります。ある卸売業では、複数の得意先から同様の問い合わせが続いたことをきっかけに調査を実施し、営業担当者が現金での支払いを受け取りながら入金処理を行わず、着服していたことが発覚しています。
これらの警告サインは単独では必ずしも不正を意味するものではありませんが、複数のサインが同時に現れる場合は、詳細な調査を行う価値があります。重要なのは、こうしたサインを見逃さない体制を構築することです。定期的な財務分析、異常値の検出システム、部門間のクロスチェックなど、多層的な監視体制を整えることで、早期発見の可能性が高まります。また、こうした分析を行う担当者には、不正の兆候に関する教育を行い、感度を高めておくことも重要です。
行動面での兆候
横領・着服を行っている従業員には、特徴的な行動パターンが見られることがあります。こうした行動面での兆候を理解し、注意深く観察することで、不正の早期発見につながる可能性があります。ただし、これらの行動サインは必ずしも不正を証明するものではなく、個人のパーソナリティや職場環境など他の要因による可能性もあるため、慎重な判断が求められます。
特定の担当者が長期間休暇を取らないという行動は、重要な警告サインの一つです。これは不在中に不正が発覚することを恐れているためで、特に長年にわたって連続休暇を取らない従業員は注意が必要です。実際のケースでは、ある金融機関の支店長が10年間一度も連続1週間以上の休暇を取得せず、毎日出勤していました。彼は顧客の預金を着服し、新たな顧客の預金で穴埋めするという、いわゆるポンジ・スキームを行っていましたが、常に出勤して処理を続けることで発覚を防いでいました。この金融機関では後に「強制休暇制度」を導入し、全従業員に年に一度、連続2週間の休暇取得を義務付けることで、同様の不正防止を図っています。
業務記録へのアクセスを他者に許可しないという行動も不自然です。例えば、自分の担当業務に関する資料やシステムへのアクセスを頑なに拒否したり、同僚や上司のサポートを拒絶したりする態度が見られる場合は、何かを隠している可能性があります。ある製造業の経理担当者は、自分の使用するパソコンに常にパスワードをかけ、席を離れる際には必ずロックし、同僚が経理データにアクセスすることを強く拒否していました。後の調査で、彼が取引先への支払いデータを改ざんし、5年間で約1億円を着服していたことが発覚しています。
不自然な生活水準の向上も注目すべきサインです。例えば、給与水準から見て明らかに高価な車を購入する、頻繁に高級品を身につけるようになる、豪華な旅行に頻繁に行くなど、収入に見合わない生活スタイルの変化が見られる場合は不正の可能性があります。ある地方銀行の中堅行員は、年収600万円程度にもかかわらず、2,000万円を超える外車を購入し、週末には高級クラブで豪遊するという生活を送っていました。後に、彼が顧客の定期預金を不正に解約し、3年間で1億5,000万円を着服していたことが判明しています。
職務の委譲や監査への抵抗を示す態度も警戒すべきサインです。通常の業務の一部を他の従業員に任せることを強く拒否したり、内部監査や外部監査に対して過度に神経質になったり、反発したりする場合は、不正行為を隠蔽しようとしている可能性があります。ある建設会社の経理部長は、長年一人で支払い業務を担当し、業務の分担や手順の文書化の提案に強く反対していました。経営者の交代をきっかけに業務プロセスの見直しが行われた際、彼が架空発注による支払いを繰り返し、7年間で約2億円を着服していたことが発覚しています。
勤務時間外の不自然な出社が多いことも注意すべきサインです。特に、誰もいない早朝や深夜、休日に頻繁に出社する従業員は、人目につかない時間帯に不正行為を行っている可能性があります。ある小売チェーンの経理担当者は、毎週日曜日に出社し、数時間を社内で過ごしていました。これを「仕事熱心」と評価する声もありましたが、実際には彼はその時間を利用して帳簿の改ざんや証憑書類の偽造を行い、商品の横流しによる収益を隠蔽していたことが後に判明しています。
特定の取引先や業者との関係が異常に親密である場合も、癒着による不正の可能性があります。例えば、特定の業者との取引に固執する、業者選定プロセスを省略しようとする、特定の業者と頻繁に私的な交流を持つなどの行動が見られる場合は注意が必要です。ある製造業の購買担当者は、部品調達において特定の業者を強く推薦し続け、価格交渉も省略して発注を繰り返していました。調査の結果、この業者は担当者の親族が経営する会社で、市場価格よりも30%以上高い価格で取引が行われていたことが判明しています。
心理的な側面では、過度の防衛的態度や不必要な説明の繰り返し、質問に対する過剰反応なども不正行為者に見られる特徴です。例えば、単純な質問や確認に対して過度に反応したり、長々と説明を繰り返したりする場合は、心理的な不安や罪悪感の表れである可能性があります。ある商社の営業担当者は、経費精算の簡単な確認に対しても非常に詳細な説明を繰り返し、時には感情的になることもありました。後の調査で、彼が架空の接待費を計上し、3年間で約900万円を着服していたことが発覚しています。
また、急な行動パターンの変化も注目すべきサインです。例えば、従来は協力的だった従業員が突然閉鎖的になる、以前は仕事に熱心だった従業員が突然無関心になるなど、行動パターンの急激な変化が見られる場合は、何らかの問題が生じている可能性があります。ある金融機関の融資担当者は、顧客訪問に熱心だったにもかかわらず、突然事務作業に固執するようになりました。後の調査で、彼が特定の顧客への不正な融資を行い、キックバックを受け取っていたことが判明しています。顧客との直接対面を避けることで、不正発覚のリスクを減らそうとしていたと考えられています。
コロナ禍とリモートワークの影響
2020年以降のコロナウイルス感染症の世界的流行は、企業の業務環境に大きな変化をもたらしました。この変化は不正リスクにも様々な影響を与えており、新たな対策の必要性を浮き彫りにしています。パンデミックに伴う突発的な環境変化は、従来の内部統制システムの前提を崩し、新たな脆弱性を生み出しました。
まず、リモートワークの普及により、対面での監視やチェック機能が弱体化しました。従来であれば同僚や上司の目があることで抑止されていた不正行為が、在宅勤務環境では行われやすくなったという側面があります。例えば、経費精算プロセスにおいて、従来は上司による対面での確認や質問が行われていたケースでも、リモート環境ではメールやチャットでの形式的な確認にとどまることが多くなり、不正のリスクが高まっています。ある企業では、リモートワーク導入後、架空の経費精算が増加し、前年比で30%増の不正が発生したという報告があります。
特に問題なのは、リモート環境での承認プロセスの形骸化です。対面でのコミュニケーションが減少することで、本来なら対話を通じて行われるべき実質的な確認や検証が省略され、形式的なチェックだけが行われる傾向が強まっています。ある企業の調査では、リモートワーク環境下での承認プロセスにおいて、添付書類の詳細確認が行われないケースが対面環境と比較して約3倍増加したという結果が出ています。
また、デジタル化の急速な進展も不正リスクを高める要因となりました。多くの企業がパンデミック対応として急いでデジタルツールを導入しましたが、十分なセキュリティ対策や運用ルールが整備されないまま展開されたケースも少なくありません。例えば、クラウド型の経費精算システムや請求書管理システムを急遽導入したものの、適切なアクセス権限設定や監視体制が整わないまま運用を開始したため、不正アクセスや権限濫用のリスクが高まったケースがあります。ある中堅企業では、パンデミック対応として導入したクラウド会計システムのアクセス権限設定が不適切であったため、本来アクセスすべきでない従業員が財務データを閲覧・編集できる状態が1年近く続いていたという事例が報告されています。
さらに、パンデミックによる経済的困難は、従業員の不正動機を増加させる要因となりました。収入減少や家族の失業など、個人の経済状況悪化が不正行為のきっかけとなるケースが報告されています。不正のトライアングル理論で説明される「動機」の要素が強まることで、通常であれば不正を行わない従業員も行動を変化させる可能性があります。実際、ある調査では、パンデミック期間中に経済的困難を経験した従業員による不正行為の報告が、前年比で約25%増加したという結果が出ています。
業務プロセスの変更も不正リスクに影響を与えました。緊急事態への対応として、多くの企業が通常の承認プロセスを簡略化したり、例外的な処理を許容したりしました。こうした変更は一時的なものとして導入されたにもかかわらず、そのまま新しい標準として定着してしまったケースも多く、従来の統制が機能しない新しい業務フローが不正の温床となっています。例えば、緊急時対応として導入された簡略化された発注承認プロセスが、緊急事態宣言解除後も継続使用されることで、チェック機能が低下し、不正リスクが高まるケースがあります。
実際、調査によれば、リモートワーク環境下での不正発生率は従来型オフィス環境と比較して約20%増加したとされており、この傾向はパンデミック後も継続しています。特に影響が大きかったのは、従来から対面でのコミュニケーションを重視していた企業や、紙ベースのワークフローに依存していた企業です。こうした企業では、デジタル環境への急速な移行に伴い、既存の内部統制システムが十分に機能しなくなるケースが多く見られました。
リモート環境における不正リスク対策としては、デジタルツールを活用した新たな監視・検知システムの導入、承認プロセスの再設計、オンラインコミュニケーションの強化などが有効です。例えば、AIを活用した異常検知システムの導入、定期的なオンラインミーティングによるコミュニケーション強化、デジタル証跡の活用などが挙げられます。ある企業では、リモートワーク環境下での不正リスク対策として、全ての取引データをリアルタイムで分析し、異常パターンを検出するシステムを導入することで、不正の早期発見率を大幅に向上させています。
また、リモート環境においては、従業員のモラルとコンプライアンス意識の醸成がより重要になります。物理的な監視が減少する環境下では、従業員自身の倫理観と組織への帰属意識が不正抑止の重要な要素となるためです。定期的なオンラインコンプライアンス研修や、経営層からの明確なメッセージ発信などを通じて、リモート環境下でも高い倫理観を維持する文化を育むことが重要です。
さらに、パンデミック後の「ハイブリッドワーク」環境においては、オフィス勤務とリモートワークを併用する新たな働き方に対応した内部統制システムの再構築が求められます。従来のオフィスベースの統制とリモート環境での統制を適切に組み合わせ、一貫性のある不正リスク管理体制を構築することが重要です。特に、承認プロセスやコミュニケーションの在り方、監視・検知の方法などについて、ハイブリッド環境に適した新たなアプローチを検討する必要があります。
国際比較データから見る日本の特徴
理担当者による横領が12年間にわたって継続していたケースがあります。この担当者は長年にわたって会社に貢献してきた「名物社員」であり、誰も疑うことなく、一人で経理業務を任せきりにしていました。結果として総額3億円以上の被害が発生しましたが、発覚のきっかけは担当者の突然の病気による長期入院でした。代理の担当者が業務を引き継いだ際に初めて不正が発覚したのです。このケースは、長期にわたる職務の固定化と過度の信頼が不正を長期化させた典型的な例と言えます。
また、「少額多数型」の不正パターンも日本の特徴です。一件あたりの被害金額は比較的少額であることが多いものの、長期間にわたって継続するため、累積すると大きな損害につながります。これは欧米で見られる「短期・高額型」の不正とは対照的です。国際比較データによると、日本における一件当たりの平均被害額は米国の約60%程度とされていますが、継続期間の長さから総被害額は同程度になるケースが多いとされています。
日本では組織への忠誠心や罪悪感から、一度に大きな金額を横領することへの心理的抵抗が働くことが一因と考えられています。そのため、「少しずつなら許されるかもしれない」という心理が働き、少額から始まった不正が習慣化し、長期間にわたって継続するパターンが多く見られます。ある建設会社では、経理担当者が最初は数万円の仮払金流用から始まった不正が、10年後には月に数百万円規模にまで拡大し、総額で2億円以上の被害につながったケースがあります。この事例では、最初の少額不正に対するチェックや発見の機会がなかったことが、大きな被害につながった要因と考えられます。
内部告発の少なさも日本企業の特徴的な傾向です。欧米では不正の発覚のきっかけとなる内部告発の割合が40%を超えるのに対し、日本では15%程度にとどまっています。これは集団主義的な価値観や「和を乱さない」という文化的規範が影響していると考えられます。同僚の不正を発見しても、「告げ口」とみなされることを恐れて報告をためらう傾向があります。また、内部告発者に対する保護制度が十分に機能していないケースも多く、告発することによる不利益を懸念する声も少なくありません。
実際に、ある日本の大手企業で行われた匿名アンケートでは、「職場で不正を発見した場合、どう行動するか」という質問に対し、「正式な内部告発制度を利用する」と回答した従業員はわずか12%で、「直属の上司に相談する」が45%、「特に何もしない」が28%という結果が出ています。この調査結果からも、日本企業における内部告発に対する抵抗感の強さがうかがえます。内部告発制度を設けている企業は増えていますが、実際の利用率は低いままです。
組織的対応の遅れも顕著です。欧米企業では不正行為の発覚後、専門調査チームの設置や外部専門家の活用が一般的ですが、日本企業ではこうした対応が取られる割合が低く、内部での処理にとどまるケースが多いです。国際調査によると、不正発覚後に外部専門家(弁護士、会計士、不正調査の専門家など)を活用する割合は、米国企業では約75%であるのに対し、日本企業では約30%にとどまるとされています。
これにより、真の原因究明や効果的な再発防止策の実施が遅れ、同様の不正が繰り返されるリスクが高まっています。ある日本の製造業では、海外子会社での横領事件を内部調査のみで処理したため、表面的な対応にとどまり、3年後に同様の手口による不正が再発するという事例がありました。この企業では2度目の不正発覚後、ようやく外部専門家を起用した本格的な調査を実施し、組織的な問題点の洗い出しと抜本的な対策を講じています。
さらに、日本企業では不正事案の公表率も低い傾向にあります。企業のレピュテーションリスクを懸念して、可能な限り内部的に処理し、公表を避ける傾向が強いとされています。国際比較データによると、重大な不正事案を公表する割合は、米国企業では約65%であるのに対し、日本企業では約25%にとどまるというデータがあります。この「隠蔽傾向」が、不正リスクに対する社会全体の認識を低下させ、効果的な対策の普及を妨げている側面もあります。
これらの日本特有の傾向を踏まえると、日本企業における効果的な不正対策には、文化的背景を考慮したアプローチが必要であることがわかります。例えば、定期的な人事ローテーションの徹底、匿名性が確保された実効性のある内部通報制度の構築、不正発覚時の専門家の積極的活用などが重要です。また、不正に対する「寛容さ」を排除し、小さな不正でも見逃さない組織文化の醸成も大切な課題と言えるでしょう。
経営者が認識すべきリスク像
現代の企業経営において、横領・着服リスクへの対応は従来のアプローチでは不十分です。経営者の方々には、以下の視点からリスク管理を再考していただきたいと思います。特に、中小企業の経営者は大企業に比べてリソースが限られる中で、効果的にリスクを管理する必要があります。
まず、「制度的対応だけでは不十分」であるという認識が重要です。形式的なコンプライアンス体制を整えるだけでなく、実質的な抑止力を構築する必要があります。規則やマニュアルは重要ですが、それらが実際の業務プロセスに組み込まれ、日常的に機能しているかを確認することが不可欠です。例えば、「内部通報制度」を設置しても、実際に利用しやすい環境が整っていなければ、形骸化する可能性が高いです。ある中堅企業では、内部通報制度を設けていたにもかかわらず、通報先が被疑者の上司であったため、実質的に機能せず、5年間にわたる組織的な不正を発見できなかったという事例があります。
制度的対応の実効性を高めるためには、定期的な運用状況のレビューや、従業員からのフィードバックの収集、制度の利用状況のモニタリングなどが有効です。また、規則やマニュアルの内容を従業員が正しく理解しているか、定期的に確認することも重要です。ある企業では、年に一度、全従業員を対象とした「不正防止チェックテスト」を実施し、理解度の低い項目については追加研修を行うという取り組みを行っています。
次に、「デジタル時代の新たなリスク」への対応です。IT環境の変化は新たな不正の機会を生み出しています。クラウドサービスの普及、リモートアクセスの一般化、デジタル決済の増加など、テクノロジーの進化に対応した監視・検知システムの導入が必要です。特に、アクセス権限の適切な管理やデータの監視体制の強化は欠かせません。
例えば、クラウド経理システムの導入により、従来は物理的に分離されていた財務データへのアクセスがリモートで可能になったことで、不正アクセスのリスクが高まっています。ある企業では、クラウドシステムへの移行後、適切なアクセス権限設定を怠ったために、営業担当者が財務データを閲覧・編集できる状態が続き、取引データの改ざんによる不正が発生したという事例があります。
デジタル時代の不正対策としては、多要素認証の導入、アクセスログの定期的なモニタリング、異常検知システムの活用などが有効です。特に、AIや機械学習を活用した不正検知システムは、従来の手法では発見困難だった複雑な不正パターンの検出に効果を発揮します。ある大手企業では、全ての取引データを人工知能で分析し、統計的に異常な取引パターンを自動検出するシステムを導入することで、不正の早期発見率を大幅に向上させています。
「組織文化の重要性」も見過ごせない要素です。不正を許さない企業風土の醸成は、最も効果的な予防策のひとつです。トップマネジメントによる誠実性の強調、倫理的行動の奨励、透明性の高い意思決定プロセスなど、組織全体の価値観が不正抑止に大きな影響を与えます。経営者自身が率先して高い倫理基準を示すことが、組織文化の形成には不可欠です。
例えば、経営者が「少額でも不正は許さない」という明確なメッセージを繰り返し発信すること、違反者に対しては地位や貢献度にかかわらず厳正に対処すること、従業員の声に真摯に耳を傾ける姿勢を示すことなどが重要です。ある企業では、役員による経費不正が発覚した際、社内外に公表した上で厳正に処分したことで、「不正は地位に関係なく許されない」という強いメッセージを組織全体に発信することに成功しています。
また、オープンなコミュニケーション文化の醸成も重要です。従業員が不正の兆候や問題点を自由に報告できる環境を整えることで、早期発見の可能性が高まります。ある企業では、「懸念報告会議」という制度を設け、各部門の従業員が業務上の懸念事項を自由に報告・議論できる場を定期的に設けています。この取り組みにより、初期段階の不正の兆候が複数回発見され、大きな被害に発展する前に対処できたという成果が報告されています。
最後に、「人的要因への理解」も重要です。不正行為に至る心理的・環境的要因を把握することで、より効果的な予防策を講じることができます。不正のトライアングル理論が示すように、「機会」「動機」「自己正当化」の三要素が揃ったとき、誠実な従業員でも不正に手を染める可能性があります。特に経済的プレッシャーや過度のノルマなど、不正の動機となりうる要因への配慮も必要です。
例えば、過度に高い営業ノルマを課された従業員が、それを達成するために売上の水増し報告や架空受注を行うというケースは少なくありません。ある企業では、現実的な達成可能性を考慮せずに設定された営業目標が、営業担当者による組織的な売上操作を誘発したという事例があります。この企業では、その後、より現実的な目標設定プロセスを導入するとともに、目標未達成の場合でも公正な評価を行う制度を整備することで、不正の動機を減少させることに成功しています。
また、従業員の個人的な問題や経済的困難に対する支援体制の整備も、不正防止の観点から重要です。従業員支援プログラム(EAP)の導入や、金融リテラシー教育の提供など、従業員の経済的・心理的健全性をサポートする取り組みは、不正の動機となる要因の軽減に寄与します。ある企業では、匿名の財務カウンセリングサービスを従業員に提供することで、経済的困難に直面した従業員が不正に走るリスクを低減する試みを行っています。
効果的な対策アプローチ
予防的対策
横領・着服を未然に防ぐための予防的対策としては、職務分離と定期的な業務ローテーションが有効です。一人の従業員に複数の重要プロセスを任せるのではなく、取引の承認、記録、資産の管理などの機能を分離することで、不正の機会を減らすことができます。例えば、発注の承認者と支払いの承認者を分けることで、架空発注による不正を防止することができます。ある製造業では、「4つの目」原則を導入し、全ての重要取引に少なくとも2名の承認を必要とする体制を構築することで、不正リスクを大幅に低減しています。
また、定期的に担当者を交代させることで、長期間にわたる不正スキームの構築を防ぐことができます。特に、現金管理や経理業務など、不正リスクの高い職務については、3〜5年を目安に定期的なローテーションを実施することが推奨されます。ある金融機関では、全ての支店長に3年を超えない周期での異動を義務付けることで、長期継続型の不正を効果的に抑制しています。
抜き打ち監査の実施も重要な予防策です。定期的な監査は重要ですが、日時が予測できるため、不正を隠蔽する余地を与えてしまいます。予告なしの監査を定期的に実施することで、常に監視されているという意識を醸成し、不正の抑止力となります。ある小売チェーンでは、本社監査チームによる抜き打ち店舗監査を実施し、その結果、前年比で経費の不正使用が約40%減少したという効果が報告されています。
従業員教育とコンプライアンス意識の醸成も欠かせません。不正行為の結果生じる法的・社会的リスク、企業および個人への影響について明確に伝えることで、不正への心理的抵抗を高めることができます。具体的な事例を用いた研修や、オンラインラーニングの活用など、効果的な教育方法の工夫も重要です。ある企業では、実際の不正事例をもとにしたケーススタディを用いたワークショップを定期的に開催し、従業員の不正リスクへの理解と意識を高める取り組みを行っています。
また、経営者自身が率先して高い倫理基準を示すことで、組織全体の倫理観を高めることができます。経営層のコミットメントと行動は、従業員の行動規範に大きな影響を与えます。ある企業の社長は、自らの経費使用についても全社員に公開し、透明性の高い経営を実践することで、組織全体のコンプライアンス意識向上に寄与しています。
通報制度(内部告発システム)の整備も効果的です。従業員が不正の疑いを安全に報告できる仕組みを構築することで、早期発見につながります。ただし、単に制度を設けるだけでなく、通報者の保護や適切なフォローアップなど、実質的に機能する仕組みとすることが重要です。ある企業では、完全匿名での通報が可能なシステムを導入するとともに、通報後の調査プロセスの透明性を高めることで、内部通報制度の利用率を大幅に向上させています。
発見的対策
不正を早期に発見するための対策としては、異常検知システムの導入が効果的です。財務データや取引パターンの異常を自動的に検出するシステムを活用することで、人間の目では見落としがちな不規則性を発見することができます。特に、AIや機械学習を活用した最新のシステムでは、従来の方法では検出困難だった複雑な不正パターンも検知可能になっています。
例えば、取引データの時系列分析や、特定のパターンに基づく異常検知、統計的手法を用いた外れ値検出などの技術を活用することで、不自然な取引や処理を自動的に抽出することができます。ある大手企業では、全ての経費データを人工知能で分析し、通常とは異なるパターンの経費申請を自動検出するシステムを導入することで、不正経費の検出率を3倍に向上させたという事例があります。
データ分析による不正パターンの検出も重要です。取引データや勤怠記録、アクセスログなどの大量のデータを分析することで、不正の兆候を見つけ出すことができます。例えば、特定の時間帯や特定の取引先との取引に異常が見られないか、統計的手法を用いて分析することが有効です。ある小売チェーンでは、POSデータと在庫データの関連分析を行うことで、特定店舗での商品ロスが統計的に有意に高いことを発見し、調査の結果、店長による組織的な商品の横流しが発覚したという事例があります。
定期的な棚卸と資産確認も基本的ですが重要な対策です。実際の在庫や資産と記録との照合を定期的に行うことで、不一致を早期に発見することができます。特に、高価な資産や転売しやすい商品については、より頻繁なチェックが推奨されます。ある家電量販店では、高額商品について週次の抜き打ち棚卸しを実施することで、商品の不正持ち出しを大幅に減少させることに成功しています。
取引先との残高確認の徹底も有効です。取引先に対して定期的に残高確認を行うことで、架空取引や取引記録の改ざんを発見することができます。特に、新規取引先や取引額が急増している取引先については、慎重な確認が必要です。ある商社では、全ての主要取引先に対して四半期ごとの残高確認を実施するとともに、新規取引先については取引開始から6ヶ月間は毎月確認を行うという厳格なプロセスを導入し、架空取引による不正を効果的に抑制しています。
事後対応の準備
不正が発覚した場合の対応準備も重要です。不正発覚時の調査プロトコルをあらかじめ整備しておくことで、混乱を最小限に抑え、適切な対応が可能になります。誰が調査の責任者となるか、どのような手順で調査を進めるか、外部の専門家をどのタイミングで招聘するかなど、具体的な計画を立てておくことが望ましいです。
ある企業では、「不正調査対応マニュアル」を策定し、不正の種類や規模に応じた調査体制の構築方法、初動対応のチェックリスト、外部専門家の選定基準などを明確化しています。このマニュアルに基づいて迅速かつ組織的な対応を行うことで、証拠の散逸を防ぎ、効果的な調査を実施することができました。特に重要なのは、調査の独立性と客観性を確保することであり、被疑者の上司や同僚ではなく、独立した立場の人員による調査体制の構築が推奨されます。
証拠保全の手順確立も重要です。不正の証拠となる可能性のある文書、電子データ、物的証拠などを適切に保全する方法を明確にしておく必要があります。特に電子データについては、改ざんの可能性を排除した形で保全することが重要です。フォレンジック技術を活用したデータ保全や、証拠物件の適切な取り扱い手順などについて、あらかじめガイドラインを整備しておくことが望ましいでしょう。
ある企業では、不正発覚時の「証拠保全チェックリスト」を作成し、保全すべき証拠の種類、保全方法、保全の記録方法などを詳細に規定しています。このチェックリストに基づいて証拠を適切に保全することで、後の調査や法的対応において必要な証拠を確実に確保することができました。特に電子データについては、専門家の助言を得ながら、改ざん防止措置を講じた上での保全が重要です。
法的対応の準備も欠かせません。民事上の損害賠償請求や刑事告訴を行うための準備、監督官庁への報告義務がある場合の対応など、法的側面からの準備も必要です。顧問弁護士との連携体制を整えておくことが望ましいでしょう。ある企業では、不正事案に精通した弁護士事務所と顧問契約を結び、不正発覚時の初動対応から、民事・刑事上の法的措置の検討まで、一貫したサポートを受けられる体制を構築しています。
再発防止体制の構築も重要な事後対応です。不正が発生した原因を徹底的に分析し、同様の不正が再び発生しないよう、業務プロセスの見直しや内部統制の強化を図る必要があります。この際、単に厳格化するだけでなく、業務効率との両立を考慮した実効性のある対策が重要です。ある製造業では、購買プロセスでの不正発覚後、業務の効率性を維持しながらもリスクを低減するため、発注金額に応じた段階的な承認プロセスを導入し、一定金額以上の発注には複数の承認を必要とする仕組みを構築しています。
まとめ:専門家による調査の重要性
横領・着服事案は発覚後の初動対応が極めて重要です。不適切な対応によって証拠が散逸したり、関係者の口裏合わせが行われたりすると、真相究明が困難になります。特に、初動段階での証拠保全と適切な調査方針の決定は、その後の対応全体に大きな影響を与えます。
また、社内調査には限界があり、専門的な知識や経験がなければ、巧妙な不正スキームを解明することは難しいでしょう。特に、複数の関係者が関与する組織的な不正や、長期間にわたって継続してきた複雑な不正においては、社内リソースだけでの解明は困難なケースが多いです。ある製造業では、最初に社内調査チームのみで調査を行ったものの、証拠隠滅や関係者の口裏合わせが進み、真相究明ができなかったという事例があります。結局、外部専門家を起用した再調査を行うこととなり、調査の長期化と追加コストが発生しました。
さらに、調査の過程で証拠隠滅や風評被害のリスクも考慮する必要があります。不適切な調査手法や情報管理によって、関係者の反発を招いたり、不必要な混乱を引き起こしたりする可能性があります。特に、被疑者が経営幹部や長年の功労者である場合には、社内の力関係や感情的要素が調査の客観性を阻害するリスクがあります。
このような理由から、横領・着服の疑いがある場合は、専門家による不正調査サービスの活用が効果的な選択となります。専門的な知識と経験を持つ調査員が、法的証拠能力を確保しながら迅速かつ的確な調査を実施することで、真相究明と適切な対応が可能になります。また、外部の専門家による調査は、客観性と公平性を担保するという点でも重要です。
当社では、公認不正検査士(CFE)や公認会計士などの専門資格を持つ調査員が、豊富な経験に基づいた調査サービスを提供しています。デジタルフォレンジックは取り扱っておりませんが、会計分析、取引調査、インタビュー技術など、多角的なアプローチで不正の全容解明をサポートいたします。社内の混乱を最小限に抑えつつ、確実な事実解明と再発防止を支援いたします。
専門的な調査の利点としては、以下のような点が挙げられます。まず、専門的な調査手法と豊富な経験に基づく効率的な真相究明が可能になります。不正調査の専門家は、過去の多数の事例から得られた知見を活かし、効果的な調査計画の立案と実行が可能です。
本記事の監修者

田中代表
代表取締役社長
ブエナヴィーダ株式会社
資格・専門性
- 公認システム監査人(CISA)試験合格
- 公認不正検査士(CFE)試験合格
経歴
- 内部監査室室長
- 外務省在外公館専門調査員
代表の田中は、企業の内部監査室室長として社員の不正等を監査し、また、外務省在外公館専門調査員として外国公務員贈賄防止等に尽力した経験を持つ専門家です。
現在は、ブエナヴィーダ株式会社の代表として、その豊富な経験と専門知識を活かし、社内不正調査業務を指揮しています。